懐かしラーメン日記

今日は京都にいた時によく行っていたラーメン屋が新宿にも店舗があるというので、映画館の帰りに寄った。

歌舞伎町の内部をはじめてちゃんと歩いた。今まで歌舞伎町の上澄みしか知らなかった。東京にこんな場所あるのか、と驚いた。X(旧・Twitter)でフォローしている「ちょっと昔の日本の景色bot」にありそうな風景が広がっており、資本が侵入できない、別ルールで動いている街なのかもなと思った。興味深い雑居ビルがたくさんあった。

京都の祇園あたりのやさぐれた感じに似ているが、こちらの方が道路幅が広く、規模がデカい。岩井俊二の『スワロウテイル』の風景を思い出した。そう言えば昨日図書館で『映画美術から学ぶ「世界」のつくり方』という本をパラパラと読んだのだが、タランティーノ作品を手掛けたりした種田陽平の章があった。この人は『スワロウテイル』の美術を手掛けているが、何かの論文で読んだ話では(スワロウテイルオリエンタリズムだという批判をしている論文だった)、スワロウテイル押井守パトレイバーを参考にしているという話があり、今確認したらWikipediaに書いてあったからこれかもしれないが、ともかく逆輸入的にこの種田陽平が『イノセンス』に参加しているのは面白いなと思った。

ホストの店がやたらと多く、小学校の同級生に一人ホストがいるが、看板にその人に似た顔をよく見かけ、ほんとに歌舞伎町で働いているのかもしれないが、LINEのプロフィール欄で(小学校の同窓会グループにいる)わざわざ確認はしなかった。

歌舞伎町をジグザグに歩き、ようやくたどり着いた場所はお洒落さとは程遠い店舗だった。わざわざこんな治安の悪い地域に店を出すのか……と思ったが、あのラーメン屋、京都でも別に治安のいい場所にあったわけではないし、そういう思想でやってるのかも。

食券を買ってカウンター席へ。心なしかホストが多い。サービスの高菜も京都と同じ。別に大学時代に通ったお店の味を恋しくなったりはしないが、むしろ思い入れもないくせにこんな風に自分の人生のセルフパロディみたいなことをして、良くないなあとか考えつつ、終わり間際まで到達したミハル・アイヴァス『黄金時代』を読んで待っていた。

隣に座った中年の男女が持参したピルクルをコップに注いで飲み始めてビビった。

ラーメンは豚骨で、記憶の中にある味とまったく同じだった。半分くらい食べたところでもういいやとなるのも同じだった。

2023/02/24(金)

今日も会社。

電車でロバート・R・マキャモン『少年時代』読み始める。以前、若島先生の本で紹介されていて面白そうと思った記憶がある。『IT』的という感じで紹介されていた。大人の回想の一人称で、『くちぶえ番長』や『鉄塔 武蔵野線』や「スタンド・バイ・ミー」と仕組みは同じ。正直なところこういうジュヴナイルのこの手の語りはそんなに好きではない。

眠いので電車の最後の方では寝た。

会社。有休取る人が多い。自分の場合仕事がありすぎて休みどころではない。

自分の要領の悪さもあるが、ここ数日は納期ギリギリとか少し遅れているみたいな仕事ばかりで、精神に悪い。

最近インターンで入った後輩が隣に座っており、だいぶ仕事を押しつけられていて可哀想。入ったばかりなのに。自分に会社への帰属意識があるとかないとは関係なく、この後輩が一ヶ月で辞めると言い出したら申し訳ないなと思った。

昼休みには自席で昨日買った窓ハルカの日記を読んでいた。面白い。今村夏子とか読むんだ。へえ。で、日記面白いなと思い触発されたので今書いてる。最近も時たまR氏向けに書いたりしたが、ブログで公開する日記は長らく書いていなかった。

ブログで公開となると会社のこととかプライベートのことはそこまで書き込めない。しゃあなし。

4時頃、眠くて、眠気覚ましに散歩に出た。五分くらいだけど。

色んな仕事を残したまま定時で出社。

帰宅、夕ご飯は野菜カレー。スペアリブもあった。美味しい。金スマがテレビで流れてた。爆笑問題太田光代が出てた。日本人は、爆笑問題太田光代のエピソード好きだよな、と思う。田中がコンビニの店長になりかけた話と、太田光代の「内助の功」的なやつ。

バタバタしつつ22時過ぎに家を出る。

夜行バスに乗った。京都へ。

ひと月に1回くらいは京都来てるが、大学の人には会ってない。コロナ的に、いいのか?というのと、会わないかとお誘いをする心的エネルギーが莫大なのと、短期間の滞在なのでそんなに時間が取れないことと、自分に会うだけの価値を見いだしてくれる人が少なそうというのと、日常が労働一色なので提供できる話題がないのと、などなどなど。

喉がカラカラ。

ハリー・ポッターと〈3〉の主題

Q ハリー・ポッターは何故ダーズリー家で迫害されるのか?

A ハリーが加わるとダーズリー家が3人家族でなくなってしまうから

 

‘Have a good term,’ said Uncle Vernon with an even nastier smile. He left without another word. Harry turned and saw the Dursleys drive away. All three of them were laughing.

Harry Potter and the Philosopher's Stone, Ch.6 p.97)

 

「新学期を楽しめよ」と言ってバーノンおじはさらに不快な笑みを浮かべた。彼は一言も言わずに去った。ハリーが振り向くとダーズリー家が車で走り去るのが見えた。3人とも声を立てて笑っていた。

 

Harry Potter and the Philosopher's Stone』という長編小説は〈3〉が重要な役割を演じている。

ダーズリー家の3人、ポッター家の3人、ハリーをダーズリー家に届けたダンブルドア・マクゴナガル・ハグリッドの3人、ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人組、マルフォイ、クラッブ、ゴイルの3人組、賢者の石を守る3頭犬、禁じられた森に住む3頭のケンタウロス、など。

〈3〉という数字に象徴的な意味を見出すつもりはないが、少なくとも〈2〉という数字に二元論的な対立の可能性が内在するのに比べ、〈3〉には三位一体といった構造的な安定感がある、という程度のことは言えるだろう。しかしまた〈3〉は常に分裂と侵入の危険にさらされている。

分裂とは言うまでもなく〈1〉と〈2〉に分かれることである。ハリーら3人組の友情を例にとれば、男二人のホモソーシャルに排除されるハーマイオニー、あるいは恋を優先したロンとハーマイオニーに阻害されるハリー、という二つの組み合わせがいかに不安定なことか。

魔法使いが純血、半純血、マグル生まれから構成されていることからも〈3〉が見出されるが、この秩序は純血主義によって分断される可能性がある。

ところが分裂した〈1〉、〈2〉は安定感がないため、〈3〉の形成へ向かおうとする。

Chapter 14ではノーバートを送り返す際にハリーとハーマイオニーが2人で行動するが、その結果が減点と罰則である。しかし2人はすぐにまた同じく減点・罰則を受けたネビルを抱え込むことで〈3〉になり、禁じられた森ではハグリッド、マルフォイ、ファングも加わるが、常に3人一組で行動することになる。

そして〈3〉は〈4〉になることを望まない。〈3〉の安定した秩序に余剰なものが追加されることを好まず、〈3〉は〈1〉を排除する。

この論の冒頭ではダンブルドア・マクゴナガル・ハグリッドを3人の例としてあげたが、もちろん赤ん坊を含めてこの集団を〈4〉と見做すこともできる。ここでもやはり〈3〉の力学が働くため、ハリーがダーズリー家に預けられることで〈1〉が排除(排出)され、〈4〉→〈3〉に移行する。

あぶれた〈1〉が行き着く先もまたダーズリー家という〈3〉人家族であった。

冒頭の問いにもどるが、ハリーがダーズリー家で迫害されたのは、ダーズリー家の〈3〉の秩序がハリーの侵入によって〈4〉になってしまうため抑圧が働いたからだと説明できる。ダーズリー家には寝室が4つあるのに、ハリーを除く3人だけが使用する。これもまた〈3〉が頑なに〈4〉であることを認めようとしないさまである。本文から引用した箇所はダーズリー家が〈3〉の秩序を回復した場面。

〈4〉と言えばホグワーツの寮が4つである。寮は4人の創立者にちなんでいるが、そのうちの1人サラザール・スリザリンは純血主義を理由に他の3人と対立する。ここにおいても〈4〉→〈3〉の力学が働いている。