柳田国男についての覚書

今年の4月半ばから、柳田国男の本と、柳田国男に関する本を集中して読んでいる。ゴールデンウィークに遠野に行こうと思い立ち、その予習に『遠野物語』の勉強をしたのがきっかけで、遠野に行ったら勉強も終わる予感があったのだが、『遠野物語』論をある程度読むと飽きてしまい、範囲を広げて柳田論全体に興味が広がった。

これまでも読書会やレポート、論文のために勉強することはあったが、いつも参考文献や先行作品が全然見つからないので苦労していた。柳田国男について言えば本が無限にあり、これまでにこんな経験したことがなかったので、とても楽しく本を読めている。

「テクストの精読」と言いつつ支配的な読みを強化するだけの本がたくさんあり、退屈することもあるが、何しろ研究の膨大な蓄積があるので、読みが豊かである。残念なことに自分は柳田国男のテクストをあまり読めている実感がなく、民俗学自体にも興味がないことが解ったのだが、何故か柳田国男に対しては関心がある。

このブログでは、自分が現状興味あると思う部分について、少しメモを残しておきたい。

 

ゴールデンウィークに行った遠野は、すごく楽しかった。ブラブラと遠野という町を歩いたりサイクリングしたりした。

言うまでもなく『遠野物語』は柳田民俗学の出発点にあたる金字塔的作品である。岩手県の遠野地方の民話を集めた本で、河童とか神隠しの話も含まれているので、妖怪好きの間でも有名。

が、執筆するにあたり、柳田は別に遠野地方でフィールドワークをしたわけではない。遠野地方出身の佐々木喜善という男を語り部として、柳田は聞き書きしただけだ。遠野市は民話の里として『遠野物語』を観光資源としているが、柳田と同じくらい、佐々木喜善を誇りに思っている様子が、二泊三日の旅でもうかがえた。

遠野物語』にまつわる施設にも何か所か赴き、語り部から直接民話を聞けて楽しかったが、思うところがいくつか生じた。

一つには、前期柳田が固執し、『遠野物語』のメインテーマの一つでもあった「山人」への言及が極端に少なかったことである。

「山人」とは日本の先住民族の末裔で、山神や天狗などとも同一視される。『遠野物語』に収録される民話にも、山人は数多く登場する。柳田は『遠野物語』の高名な序文で「(『今昔物語』のような昔の話と違って)此は是目前の出来事なり」と言っており、山人の実在を信じていた。しかしこれも有名な話だが南方熊楠との論争で山人の実在を否定され、柳田は『山の人生』を最後に「山人」から撤退、以降は「常民」の学として民俗学を構築していく(この辺はとにかく議論される)。一般的にも山人は柳田のロマン主義の産物とされ、吉本隆明は「共同幻想」と見なした。

前述の通り自分は民俗学に興味はなく、柳田国男本もどう読めばいいのか解らないのだが、例外的に山人への興味は柳田と共有できている。なんなら山人の存在を信じている。

言ってみれば山人は遠野の人々にとっての他者である。いくつか行った施設はどれも、遠野地方の伝承や歴史、風俗を伝えることはあっても、他者である山人に言及することがなかった。これが物足りなかった。

 

もう一点、遠野を観光して思ったことは、柳田民俗学の帰結として、遠野という地は別に特異な場所ではないのでは、ということだった。

どの本に書いてあったのか、そして誰が言ったのか忘れたが、柳田が『遠野物語』を出した直後、彼の知り合いが『遠野物語』を「こんな話、珍しくない。自分の故郷にだってこれくらいの話はやまほど転がっている」と評していた。有名なコメントだと思うので、不正確な再現で恐縮だが、探してもらいたい。

このコメントに対する柳田の反論があったのかなかったのか忘れたが、柳田にとって別に痛くもかゆくもないコメントだったはずだ。最初こそ柳田は遠野という地方を民話の宝庫として見たかもしれないが、柳田にとって(沖縄は除くかもしれないが)特権的な地方などなく、『蝸牛考』の「方言周圏論」に顕著だが、民話、方言、風習、そのどれをとってみても、各地方は「日本」という一つの身体の中で文化の中心地から測られる偏差でしか表現されない。

遠野が民話の里と自称することに異論はないが、そういうことを考えていた。

ここで思い出すのは小野不由美残穢』である。

三年前、サークルの読書会で『残穢』を扱った時、自分の関心は「何故『残穢』の恐怖の構造は普遍的なのか」ということだった。自分にとって、どんなに怖くても他のホラーはあくまでもその作品内で完結し、他の作品はもとより現実世界には一切影響を及ぼさないものだった。しかし『残穢』の場合、そのシステムは実際の心霊現象の見方さえ変えてしまうものだと思った。結論として『残穢』は差別感情にも繋がる「穢れ」という感覚を巧妙に利用しているからだと考えたが、論を進めるために怪異の「固有性」について考えた。

以下、レジュメの該当箇所を引用する。

 

そもそもの話として、久保(注:語り手の代わりに怪異の調査を進めるキャラクター。誰がこのキャラクターの名前など憶えているものだろうか)らが怪異を調査することができるのは、怪異に再現性があるからだ。そうでなければ語り手の「自然現象である以上、整合性はあってしかるべきだ」(110)というスタンスは成立しない。
例えば、物語の冒頭で久保は寝室の物音がどのような条件下で発生するのか、検証を試みる。振り返ると音が止むことや、「間仕切りの板戸を閉めていれば音は耳に届かない」ことを突き止める。あるいは、岡谷団地の鈴木邸では、前の住人である黒岩家や、岡谷マンション 401 号室で発生した心霊現象が発生している。同一の心霊現象を別々の人間が体験することで、にわかに心霊現象に実在性が帯びてくる。

映画『邪願霊』(1988)の脚本を担当し、「小中理論」を提唱して J ホラーに大きな影響を与えた小中千昭は、「情報の合致は恐ろしい」と語る。

 

主人公がこの世ならざるものを見たとする。それは見間違いか、己の精神状態に起因するものか判断がつかない。そこに第三者からやはり自分も同じものを見たと告げられる事によって、自己が見たものが現実に存在する事が判明する。このように、一人の人物だけの体験よりも、「それを見てしまう」といった体験が伝染病の様に伝わっていく事が、恐怖を構造化していく。


この種の恐怖が『残穢』のキーポイントの一つであることは間違いない。
しかしこのような状況は特異なことである。〈ゴーストハント〉において、超心理学者である渋谷一也(ナル)は以下のように語る。

 

いわゆる幽霊に関する研究というのは、心霊現象全般の中で最も混沌としているのが現状だな。なぜなら、幽霊は実験室に現れてくれないからだ。(中略)現象自体に再現性がないんだ。同じ条件下に置けば同じ現象が起こる、とは限らない。したがって厳密な意味での科学的アプローチができない。それで勢い、実験や記録のしやすい霊が研究の対象になってしまう。(中略)その他の霊については、たまたま目撃したものの証言を収集するしか、研究の方法はない。証言を集めること自体は簡単だが、その言葉の何パーセントが真実なのか、検証する方法は皆無に等しい。

 

心霊現象は非常に主観的であり、科学的に証明することができない。従って実話怪談の世界では、幽霊の実在性を問題にはせず、体験者が経験したことを尊重し、その一回性・固有性を重要視する。
ところが『残穢』では怪異に再現性があるため、怪談の固有性は消去され、怪談を推理の素材(=テクスト)として処理することが可能になっている。

 

補足をしておくと、実話怪談の一回性・固有性の話は吉田悠軌『一生忘れない怖い話の語り方 すぐ話せる「実話怪談」入門』に書いてあった。

一方で『残穢』の場合、「穢れ」の構造こそが問題なので、一つ一つの怪異単体は表層でしかない。だから特権的な怪異などなく、固有性は剥奪される。

こういうところがとても柳田民俗学に近い。ひとつの民話の固有性は重視しない。そのための方法論として、赤坂憲雄『海の精神史: 柳田国男の発生』でも言われていたが、とにかく柳田は「比較」する。この「比較」への執念は『残穢』にも共通するものだと思う。

ということを踏まえると、「現代思想2012年10月臨時増刊号 総特集=柳田國男」で東雅夫は百物語として『遠野物語』を論じており(実はちゃんと読んでいないが『遠野物語と怪談の時代』と同じ話をしているのかなと予想)、論の末尾に当時刊行されたばかりの『残穢』と『鬼談百景』に触れるのは慧眼だと思うが、別に実話怪談集であれば小野作品でなくとも良くて、この二作にわざわざ触れるならば、柳田・『残穢』に共通する構造化への執着まで考えないとだめだろうと思う。

ところで最近は実話怪談やモキュメンタリーホラーが流行っており、そのブームの影響元の一つに三津田信三や『残穢』がたびたびあげられる。

が、三津田作品や、ブームの中の作品のほとんどは、モキュメンタリーの肌触りへの感覚は鋭いが、いまだ「固有性」に執着しているように思える。例えば『近畿地方のある場所について』など「比較」への意志はあるが、そこで構築される構造はあくまでも一回性のものでしかなく、普遍性は獲得できない。

 

というようなことを、柳田論を読む初期の段階では考えていた。